少し前から「コスパ」という言葉を聞くようになりました。「コスパ最強」や「コスパ重視」等、TVCMに限らずネットなどにもよく使われます。
コストパフォーマンス、安くて高品質を求める気持ちは分かっています。
しかし、何か大切なものを失ってはいないでしょうか?
コスパ良くて、効率重視の世の中、「元気」は出るのでしょうか?
この一週間、ドラえもん誕生まであと90年。私の中でマイブームはドラえもんにハマってます。
とはいっても、現在住んでいるのは日本から遠く離れた南半球。手元に資料がない為、もしかしたら私の記憶違いもあるかもしれません。
海外にも「Doraemon」「ロ多 ロ拉 A 夢」「도라에몽」など、幅広く出版されています。
今回はアラフィフオジサンの私と共に育った、大山のぶ代さんが声優をするドラえもんを思い出しながら、記事を書いています。
「親友:ドラえもんとのび太」友情と感謝
テレビでは一話10分前後のドラえもん。言わずと知れた国民的アイドルロボットアニメ。漫画本や関連本も数多く出ており、知らない人はいないのでは?という程です。
のび太が困難な問題を持ってきて、それをドラえもんが「未来の道具」で共に解決する。しかし、味をしめたのび太が悪知恵を働かせたり、道具を過剰に使って、何かハプニングが起きてしまう、というオチが多いです。
さて、このドラえもん、のび太を助けるために来たのではなく、のび太とジャイ子を結婚させないために未来から送られてきました。
しかし、当初の目的とは違い、日々の困難をのび太と共に乗り越えようとし、時に喧嘩したり、時に近所の猫に恋したり、と様々。
のび太は「あやとり」以外、ほとんど何も平均以上にできません。
しかし、ドラえもんとのび太の友情は、それこそ何本もの映画になる程素敵な物語が多いです。
ここにはコスパなどと言う言葉はありません。お互い信頼し合い、感謝する姿が現れています。
お互いが元気になる「ありがとう」
多くの場合、助けるのはドラえもん(の道具)で、助けられるのはのび太側です。
逆に、ドラえもんからのび太に対して、何か助けられること自体が少ないです。ただし、ドラえもんができない「ネズミを追い払った」「近所の猫とのデートに協力」などがあります。
お互いに助けられた、その頻度は違いますが、相手の為に必死で考え、その出来る限りのことをする、この姿勢は見ている人間を元気にします。
上記は、言葉にできない「ありがとう」が二人の間に信頼関係があるのではないでしょうか。見返りなどを一切期待していません。
誰かのために頑張った時の「ありがとう」
更に、映画などでは、ドラえもん一行が、友達になった人たちと共に敵対勢力と必死に戦い、それこそ命を懸けて協力し合いながら目的を達成します。
映画の最後に友達達から「ありがとう」と言われますが、これも清々しい気持ちで見ることができます。のび太一行は別に見返りを求めたわけではなく、また無理やり参加させられたわけでもありません。
ドラえもんとのび太、そして観ている私達が共に元気になれる「ありがとう」、言葉の有無は別にして、この心はとても力強く、エネルギーにあふれています。
お互いがお互いを思いやって、不文律の感謝や「ありがとう」の言葉。映画の最後を締めくくるのに、これ以上ない達成感・充実感を味わえます。
現代社会の問題点
冒頭に述べた通り、コスパ重視等が言われる昨今。なにか「してやった」「感謝されるのが当たり前」「今だけ・金だけ・自分だけ」という暗く冷たい世の中です。
子供向け番組の代表で、社会にそのまま当てはめるのは、あまり適当でないかもしれません。
しかし、だからこそ「ドラえもん」のストーリーや相互感謝は光り輝いてみることができます。
ドラえもんとのび太の相互信頼とそれを取り巻く感謝の言葉や姿勢。この姿こそ、観ている人や周りの人に元気を与えるのだと思います。
まとめとして
感謝や信頼関係は相手がいなければできません。相手がいて自分がいる「感謝」。
のび太の様な自分でも、誰かの為にできることを一生懸命頑張って、そして「ありがとう」と言われるのはとても元気が出ます。
コスパ・効率化が重視されている今、この「ドラえもんとのび太の関係を観る度に、心が綺麗になり、達成感など精神的に報われ、疲れも減り、元気になれます。
今日は主夫の私が料理当番。料理が苦手な私に妻は「美味しい、ありがとう」と言ってくれるかどうか。それとも夜、心の中のドラえもんに「料理が美味しく作れる道具出して!」と泣きつくか…
前者であるよう、アラフィフのび太、がんばります!
稚拙な文章ながら、最後まで読んでいただきありがとうございます。少しでも皆様の元気のきっかけになれば幸いです。
参加して元気に
元気が出る企画に参加しています。
ドラえもんの様な友達がいれば、誰一人取り残さない世界が実現するかも
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