論語:和して同せず:君子は和して同ぜず小人は同じて和せず

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彩流
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おなじみ論語の言葉「和して同せず」。

「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」です。

 

和して同せず

 

普段の生活でも聞いたことがあるかと思う「和して同せず」。これは前半の言葉のみです。

言葉自体は孔子、論語の中の一節「子曰く、君子は和して同ぜず小人は同じて和せず」に由来します。

言葉の意味

子曰く、君子は和して同ぜず小人は同じて和せず

最初の「子曰く」は「先生はこうおっしゃいました」が直訳。孔子の弟子がまとめた論語のため、「子曰く」という始まりになります。

「君子は和して同ぜず」、これは「できた人間と言うのは、人との協調はするが、むやみに同調しない。賛成・決定しない」と言う現代語訳。

「小人は同じて和せず」は、「未熟な人間は、周りに合わせる事ばかり考え行動してしまうが、皆と仲良くなれない」と言う意味です。

同調圧力に抵抗

日本社会では、先人先輩の考えや声の大きい人、立場の高い人に合わせる傾向があります。

数年前に流行した「KY」と言う言葉、「空気が読めない」という表現も、周りの意見や雰囲気を壊してしまう人を揶揄した表現。会議など「シャンシャン」で終わる、というのもこの通りで、結局どのように決めたのか、だれが責任者なのかがわからないまま、決定されることが多いです。

孔子の時代からこのようなことが問題になっていたのでしょう。

現代社会の問題点。君子は和して同ぜず小人は同じて和せず

上記にも書きましたが、日本社会では「同調圧力」が諸外国や他の文化に比べてはるかに強いです。

様々な視点や立場があるはずなのに「全会一致で」という事がよくあります。また、全会一致の「会議」など、する必要があるのか?時間の無駄では?と見直す必要があります。

「君子」とは目指す人間像

もちろん人間です。弱い所もあります。論語などで言われる「君子」とは、現代風に言えば「目指す人間像、立派な人間」という事です。

立派な一人前の人間になろうとすることはとても大切です。

いつも同調ばかりしていると、立場の上の人間から「舐められ」「責任を押し付けられる」ことが日本社会ではよくあります。「お前があの時賛成したんだから、お前も責任者の一人だ、謝罪・責任を取れ!」などという事は経験ある人も多いのではないでしょうか。

「君子」になるために専門性・経験を積む

社会に出てからも、学生の身分でも、なかなか「和して同ぜず」を貫くのは難しいです。

一つの解決方法として「専門性を磨く」という事があります。

会議等で参加する人たちが一つの意見にとらわれている際に「○○の観点から見れば…」と別の視点、経験で話をすると聞く耳を持ってもらえることが多いです。

もちろん会議を主催する権力者・声の大きい人の「人間ができていない」時は無駄な努力になり、繰り返すことで煙たがられるのは残念な文化です。

リーダー、部下を持った時の心得

組織の中の人間として働く際、「和して同ぜず」は心得としてとても重要です。

様々な意見のある中で、皆の意見を吸い取るには「和して」の雰囲気が大切。とはいえ、それは雰囲気だけにしましょう。

「同せず」という事を常に心に止めておかなければなりません。何が一番優先することなのか?という軸をずらさないことが肝要。軸がずれると「ぶれる」という事につながり、「ぶれる上司」は信用されません。

信用されない「ぶれる上司」をうまく表現したのが「小人は同じて和せず」です。一度失った信用はなかなか取り戻すことができません。

まとめ

論語の有名な言葉「和して同ぜず」「君子は和して同ぜず小人は同じて和せず」を考察しました。君子というと聖人君主のような人間を思うかもしれませんが、目指す人間像として考えてください。

様々な意見を聞きますが、軸がぶれないのが君子。

そして未熟な、大したことない人間は自分の考えなどなく周りにあわせてばかりいるため、かえって信用を失う、と言う解釈です。

君子和して同ぜず小人は同じて和せず、これからの時代の働き方としても、常に心に置いておきたい言葉ですね。

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