友達作りのコツを論語から学ぶ「己に如かざる者を友とすること無かれ」

アジア城温故知新

論語:孔子の教えから「友」について

今回は「己に如(し)かざる者を友とすること無かれ」を取り上げます。

小中学校などでは「自分に及ばない者を友とすること無かれ」と、文字通り教えられました。当時から違和感を感じていたのを覚えています。

その違和感を分析してみましょう。

孔子の時代から論語までは400年のずれ

孔子は紀元前552年に生まれ、紀元前479年没。今から約2,500年前の人です。中国春秋時代の思想家。

儒家の始祖と言われます。弟子は3,000人を超えたとも言われています。

孔子の言葉をまとめた『論語』。

この『論語』は、弟子たちが孔子の言葉をまとめた、とされています。ただ、完成されたのは孔子の死後400年。今の時代でも400年前の人の事を書くのは信憑性に欠けます。

「伝言ゲーム」と同じく、本人の考え、伝えたかったものが湾曲されてもおかしくないです。

また、当時の文字も変化します。

例えば、「40歳にして不惑」と言われます。この「惑」の文字、孔子の時代には「心」の文字が無い。すなわち「不惑」は迷わない事ではないのでは?とされています。

様々なご先祖たちの編纂を通り400年、現在まで伝わる「論語」ですが、意味解釈に若干の誤差が出るのは当然です。

「如」の意味を考える(類は友を呼ぶ?)

学校で教わる通りの「己に如ざるもの」を「自分に及ばない」とするのが、若干無理が無いでしょうか?

「如」の文字、孫子の兵法などでも「速き事風のごとく(疾如風)」で使われています。文法でいえばA=Bの「=」に当たるのが「如」

とすると、「及ばない」のではなく「同類ではない」と考えることができます。

自分と同類ではない者は友としない。

別の言い方をすれば「類は友を呼ぶ」でしょうか。

また、別の言葉にも「道同じからざれば、相い為に謀らず」と言うものがあります。進む道が違えば、お互いに受け入れられない。

こうすることで、なんとなくですが、言いたいことが伝わってきそうです。

共感できる人と友人に


共通の苦労や、似た境遇、環境だと友人になりやすいです。
これは共通点に相当しますが、おなじくお互いが「共感」できるからでしょう。

別の方向から言えば、自分の考えや生き方などに共感できなければ友とするべきでは無い、という事になりそうです。

現代社会の解釈

よほどの地位がある人や家系は別ですが、一般の方々であれば「友」は自然にできるものであって、自分の環境に近い人が友達となり続けます。

自分の理想とする憧れの生活をしたいのであれば、その環境にいる人の傍で生活するのが一番良いと言われるのもそのためでしょう。

逆に「友とすること無かれ」は、自分とうまくいかない、波が合わない人や共感・協調できない自分中心の人、という事が言えそうです。

波が合わない人とは離れる

狭い環境の中で生活していると、どうしても「あの人とは波が合わない」という事が出てきます。

言葉で表すのが難しいですが、やはり「波」と言うのは存在します。

最初のうちは仲が良くても、時間が経つにつれ「波」がずれてきます。

これは「如」ではなく、違う道を進んだとして、友と言う言葉に執着せず別れた方が良いです。

縁があればまたお互いが引き寄せ合います。

自己利益のみ追及する人とは、すぐ離れる

自分の話(自慢)ばかりする、ケチくさく何かと「たかる」ひと。
これは身の回りで「あの人のこと?」と思う方も多いのではないでしょうか?

自分中心、自分の利益のみ考えている人は「共感」ができません。薄っぺらい言葉で言うこともありますが、心がこもっていない。

お互いに利益があれば「win-winの関係」で、と思われる方もいるかもしれません。

「利益」とは金銭的なものだけではありません。相手に要求をするのも同様。「負担」を強いない、負担を減らすこともとても大切です。

以前、ある経営者に「俺も気を使ってるんだから、お前も俺に気を使えよ!」と言われたことがありますが、この人の企業では多くの人が鬱になっていました。

自分の事しか考えられない、自分の環境がすべてという人とは距離を置くようにしましょう。

友人は自分の鑑

良く付き合う友達10人と自分は共通点が多いと言います。

自分を変えたいならば、まず環境を変えるのが一番でしょう。

自分の理想とする「場」へ自分の身を置くのが一番ではないでしょうか。

その為にも「学校」や「セミナー」等は、参加する人が限られているので、最適な場所です。また、留学なども良いでしょう。

自分を高めるため、良い友を見つけるためにも外に出ましょう。

noteのスキとフォローは共感できる友へのきっかけに

最近は生活の一部になっているSNS。様々なものがありますが、今回のテーマを考えると「note」が一番向いているように感じます。

ネットで直接メールやフォローなど、切っ掛けを作る道具は以前にも増しています。ただ、相手が直接見えないのが残念な所。相性の「波」が分かりにくいです。

その波の一つになる「共感」は同じ境遇や理解できる人であれば自然と応援、強調したくなるものです。

Noteでは、趣味や嗜好だけでなく、同じ病気や環境で悩む人も多く参加しています。

FacebookやInstagramなど「キラキラ」している人もたまにはいますが、多くの人が等身大の自分を表現しています。

その等身大の表現には、自分の悩みや思いなどを共感共鳴させる場としてであり、スキ(イイネ)するだけでなく、コメント等で交流することで、「友」という存在に近づくのではないでしょうか。

まとめ

論語でよく聞く「己に如らざる者を友とすること無かれ」ですが、実社会との意味に違和感があります。

己に及ばない者ではなく、自分とは違う人や共感できない人、共通項が無い人とは友に成れない、と言う意味でしっくりきます。

お互いに自分を磨ける良い友を作るには、環境を変える事や共通の環境・状況に似ている人との出会いが重要になってきます。

その場に行くことも大切です。また最近多くの人が利用しているSNS等の活用も今の時代として有益です。今回はNoteを紹介しましたが、他のSNSでも良いと思っています。

「友」は自分の環境・状況に似ている人と出会うことで自然とできるという事です。

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