おなじみの「朝三暮四」(ちょうさん ぼし)
猿は目先の利益の差で怒り喜びました。
由来解説と共に更に視点を変え、もう少し掘り下げます
故事成語:朝三暮四
よくある解釈は、目の前の差だけに目を取られて結局は同じことを気が付かずに喜んだり怒ったりすることです。
また、言葉巧みに相手をだますこととも意味されます。
朝令暮改と間違えられることもありますが、朝令暮改はすぐに命令を覆すこと。朝三暮四は言い方を変えて騙すということで、使い方に気をつけましょう。
由来
由来は「荘子」と「列子」にでてくる物語に由来します。紀元前220年より前、秦の始皇帝がおこる前の「戦国時代」にかかれたという説が有力です。
荘子では
猿使いの親分、エサの「栃の実」を減らすこととなりました。猿たちに「朝に3つ、夜に4つ与える」と言ったところ、猿は怒り出します。そこで「朝に4つ、夜に3つあたえる」と言ったらサルたちは喜んだ。
このことから「与えるのは7つで変わらないのに、喜怒逆転したのは自分たちの価値基準に縛られているからだ」という結論に。
列子では
可愛がっている猿がいたが、急に生活が貧しくなる。それまでは減らさないでいた猿のエサ、反感を恐れて、言葉巧みに猿をだました。
という流れ。
朝三暮四:二つの意味
この物語から2つの意味として広く知られています。
一つ目は、目先の利益によって、結局同じことでも曇って判断を誤ってしまう。
二つ目は、結局は「同じ与える」ことを、言い方を変えることで納得(だます)させることを表します。
朝三暮四 なぜ猿は喜んだのか?ツッコミどころ
説明を理解できる猿。野生ではなく話も理解できるというと、知能レベルはある程度高いのでしょう。ただ、この故事成語ははっきりと上から目線。「低能な猿が喜んでいる」と思っています。
猿の立場からみる ピンハネ
猿はなぜ朝の量が増えると喜んだのか?もしかしたら、夜のエサは老猿のピンハネがあるのかもしれません。保存も効くので強欲な親分猿が「夜配られたエサ、半分は将来の為に俺が預かって置く」といって回収しているのかもしれません。
猿の立場から見る 餌を忘れることは?
また、この宣言の時間にもよりますが、この飼い主が夜のエサを忘れることが多いのではないでしょうか?朝のエサは忘れなくても、夜は酒を飲んでそのまま寝てしまうかも。そう考えると、猿は夜の4を忘れられるよりも、朝4にしてもらって時々忘れられる夕方3にする、とのほうが確実にもらえます。(お薬の服薬も、朝は忘れないが夕食後、昼食後はよく忘れられます)
また、エサの「栃の実7つ」だけでは、猿の一日当たりの必要エネルギーを補うことはできません。他に何か食べているでしょう。もしくは餓死寸前で今日の夜まで生きられるかわからない。もらえるうちにもらっておこう。と言う考えもあったのかもしれません。年金の繰り上げ・繰り下げみたいですね。
猿の立場から見る 自分たちの主張が通ったことに喜んだ
猿の立場から引き続き観てみると、もしかしたら今まで一方的に「与える―与えられる」という関係から、怒り・不快を表すことによって、交渉ができるということが見いだせたことに喜んでいたのかもしれません。
原資は変わらなくても、一方的に決められるよりは、猿の意見も聞いてくれ!という声が届いて喜んだのでは?
なににしても、喜んでいる猿をみて、上から目線の飼い主は「猿は低能だから口先だけでもうまく騙せた」と思っているのは、生活に密接している猿は素早く計算していたのかもしれません。
飼い主は猿の心や状況を理解しようとしていませんね。
この故事成語から学べる事
故事成語の朝三暮四、飼い主はうまく騙せたと思っていますが、利益に敏い猿が喜んでいる理由を探らずにいるのは失敗です。
言い方を変えることで解決する問題もありますが、だまそうとしている時点で問題。さらに猿の状況を考えずに「こうすれば喜ぶだろう?ほら喜んだ」と考えるのは、今の日本にも通じるところがあるのではないでしょうか?
飼い主にすれば、ピンハネしている老猿・ボス猿を取り締まる必要があるし、自分が当初の約束通りしっかり叶えているか?また、相手のいう事を聞く姿勢を持っているか?ということが大事です。
自分が上の立場になった時に、このこと相手がなぜ喜んでいるか、何に起こっているかを知ることはとても大切な事です。
まとめ
朝三暮四(ちょうさんぼし)について、由来とともに猿の立場から考察してみました。猿を低能と思っている飼い主ですが、本当に低能だったのか?猿には猿の事情があるのでは?という事を考察しています。現代日本社会にも共通している教訓もあります。
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